今回のお題はこちら!
「食べ方の議論」
先日、「いきなり味変する人が理解できない」という投稿に対して議論した記事を見つけました。
最初に僕の考えから言うと、個人の好みなんだから好きにすればいいと思います。外食であれば、調味料を使われるのが嫌なら置かなければいいだけの話です。
じゃあなんで上記の記事を題材にしたのか?
投稿に対する答えが多種多様で面白かったのと、考えさせられる事があったので取り上げてみました。この記事を見て、一緒に考えてみるのも面白いかと思います。哲学チックになるかもしれません(笑)
一つ、投稿に対する答えを見ていきましょう。
「ラーメンが出てきてすぐ胡椒をかけるのは許せない」
いろいろな意見があると思います。賛同する人もいれば、反対する人もいるでしょう。
僕が気になったのは「許せない」の部分です。
普段何気なしに会話をしていて好みの話をしたとき、自分の好みと違うと「それは許せないね」と言う時があるかと思います。僕も言います。
何に対して許せないのでしょう?
自分の好みと違うことをしている人が許せないのか、自分のこだわりの中で、その出来事自体が許せないのか。
ちょっと解りづらいですね。上記の答えにあてはめましょう。
いきなり胡椒をかける人が許せないのか、胡椒をかけたという出来事が許せないのか。
「許せない」という一つの言葉から二つの意味がでてきました。これ以外にも違った解釈がでてくると思います。
という事は、解釈の数のぶんだけ受け取り方があるという事です。
自分ではそんなつもりで言ったわけではないのに、相手の受け取り方が違ったためにヒートアップしてしまう。
といった事が、「いきなり味変する人が理解できない」なんて、よく考えると下らない出来事で議論してしまうのかなぁと考えてしまいました。
何気なしに放つ言葉でも、こうやって掘り返すと考えさせられる事があります。
もっともっと掘り返すと、こうやって考えている事自体が無益なんじゃないかと思ったりもします。
どうです?なんか哲学っぽくなってきたと思いませんか?(笑)
とはいえ、僕らは人間です。考えて行動できる生き物なので必然的に衝突もするでしょう。
自分の考えばかりを押し付けずに、他人とうまく共存できるようにしていきたいものです。
食べ方の話に戻りますが、人の食べ方を細かく見るのもいい気分がしないものです。思っていても心の中だけにしておきましょう。
ひょっとしたら自分も共感されない食べ方をしているかもしれませんよ?
ここまでご覧いただき、ありがとうございました!